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受賞歴第2回笑わん会 優秀賞(2001/5)
第23回ABC
お笑い新人グランプリ 優秀新人賞(2002/1)
第32回上方
お笑い大賞 新人賞(2003/12)
第34回NHK
上方漫才コンテスト 優秀賞(2004/3/12)
NHK新人演芸大賞(演芸部門) 大賞(2004/10/11)
第33回
上方お笑い大賞 最優秀新人賞(2004/12/18)
第40回上方漫才大賞 新人賞(2005/4/30)
第3回MBS新世代漫才アワード 優勝(2005/8/28)
その他 毎年のように
M-1グランプリに挑戦!!
いずれは頂点をきわめるだろう!
M-1グランプリ2001 決勝進出 - 5位
M-1グランプリ2003 決勝進出 - 8位
M-1グランプリ2004 決勝進出 - 3位
M-1グランプリ2005 決勝進出 - 3位(決勝1回戦の時点では2位)
M-1グランプリ2006 決勝進出 - 3位
爆笑オンエアバトル 第6回チャンピオン大会 (2004年) 6位
爆笑オンエアバトル 第7回チャンピオン大会 (2005年) 6位
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お笑いネタ[編集]
麒麟です
川島が掴みとして、漫才中に必ず言う「
麒麟です」のバリエーション。
いきなり川島が無関係な話を始め、肝心な所で「
麒麟です」。
怖い話を始め、「振り向くと、そこには……あ、忘れてた。
麒麟です」。
馬のモノマネをしてからの「
麒麟です」。
通常は低音の声であるところを、普通の声で「
麒麟です」。
大きく息を吸って勢いをつけての「
麒麟です」。
低音の声のまま、「
麒麟です、よろしくお願いします」まで言ってしまう。
「えっ、
麒麟って誰?」
(賞レースで「続いては
麒麟さんです」と紹介を受けて、)「
麒麟さんです」。
鼻で笑ってから
「麒麟です」。
川島が「せーの、
麒麟です」と言いながら、田村と2人で右手を伸ばして(
麒麟をイメージ)、足を横に出す(その時川島の左手はマイクにそえる)。
単独ライブ(キリリン!)では、「キリリンです」。
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いま話題の
お笑いコンビ
麒麟が2年ぶりDVDを発売!!
昨夏に行った単独ライブの模様を完全収録した2年ぶりのDVD作品を発表しました。
記念イベントとしてお笑いコンビ「
麒麟」が29日、東京・HMV渋谷店で行われたDVD「
ジラフ」(発売中)イベントに出席。
「
麒麟です」の渋い声でおなじみのボケ役・
川島明(29)は「(アンパンマン作者の)やなせたかしさんにジャケットの絵を描いていただいて感動です」とウルウル。
一方、自著「
ホームレス中学生」が207万部の大ベストセラーになっているツッコミ役・田村裕(28)は「すっかりセレブです。お金はもういい。相方に? あげません」とジョークで会場を笑わせた。
さらに、同書のドラマ版を
小池徹平が主演発表したが自身を演じることについては「やっぱり似ている人が出ることになってるんですね」とお約束のコメントで場を和ませていた。
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お笑い 麒麟 080114
■漫才豆知識■1970年代後半にはフジテレビの番組『花王名人劇場』、『THE MANZAI』からマンザイブームが起こり、横山やすし・西川きよし、中田カウス・ボタン、コメディNo.1、ツービート、星セント・ルイス、ザ・ぼんち、西川のりお・上方よしお、島田紳介・松本竜介、B&B、などの中堅や若手漫才師が人気を集め、彼らの中には現在でも芸能文化活動の第一線で活躍している者が多い。漫才は寄席で行われる演芸として発達したが、マスメディアとの親和性にも優れており、ラジオ番組やテレビ番組でも多く披露されていった。韓国と中国にも漫才がある。
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お笑い 漫才 麒麟■漫才豆知識■戦後、漫才師たちは、相方の戦死・病死・消息不明などに見舞われる。
吉本興業と専属契約していなかった漫才師たちは大阪に結集し、仕事の受注やマネージメントをする団之助芸能社を立ち上げた。松鶴家団之助が交通の便などがよかった為に西成区山王で芸人を集めたため、山王は『芸人横丁』と呼ばれ地元の人に親しまれた。その後、交通機関の発達で山王を離れての活動が容易になり、多くの芸人は吉本興業や松竹芸能と契約するようになった。1950〜60年代が漫才の全盛期で、上方では中田ダイマル・ラケット、夢路いとし・喜味こいし、ミヤコ蝶々・南都雄二、人生幸朗・生恵幸子・海原お浜・小浜、漫画トリオなどが、東京では前述の千太・万吉、獅子てんや・瀬戸わんや、コロムビア・トップ・ライト、などがラジオ・テレビで活躍した。
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お笑い 漫才 麒麟■漫才豆知識■大正末期には、
吉本興業の芸人である横山エンタツ・花菱アチャコのコンビが、万才を会話だけの話芸(しゃべくり漫才)として成立させ、絶大な人気を博した。昭和8年頃には吉本興業によって漫才と呼び名を変え、東京へも進出していった。エンタツ・アチャコ以降、漫才は急速に普及し、他のスター漫才師も生みだした。東京ではエンタツ・アチャコと懇意にしていた柳家金語楼が触発されて、一門の梧楼と緑朗に高座で掛け合いを演じさせ、これが今日の東京漫才の祖とされるリーガル千太・万吉に繋がった。一方、砂川捨丸・中村春代やかしまし娘、東京では内海桂子・好江、松鶴家千代若・千代菊など、お囃子を取り入れた古典的なスタイルを崩さなかった漫才師もいた。
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メッセ弾DVD
麒麟の拷問にあうメッセンジャー黒田
■漫才豆知識■1970年代後半にはフジテレビの番組『花王名人劇場』、『THE MANZAI』からマンザイブームが起こり、横山やすし・西川きよし、中田カウス・ボタン、コメディNo.1、ツービート、星セント・ルイス、ザ・ぼんち、西川のりお・上方よしお、島田紳介・松本竜介、B&B、などの中堅や若手漫才師が人気を集め、彼らの中には現在でも芸能文化活動の第一線で活躍している者が多い。漫才は寄席で行われる演芸として発達したが、マスメディアとの親和性にも優れており、ラジオ番組やテレビ番組でも多く披露されていった。韓国と中国にも漫才がある。
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芸人
麒麟 主演ショートムービー公開中
■漫才の歴史■1953年、NHKテレビ・日本テレビが相次いで開局したが、当初一流俳優などはテレビを「電氣紙芝居」として敬遠し、その結果それまで浅草公園六区や新宿などで活躍していた軽演劇の役者など、実力はあるが陽の目を見ず燻っていた者達がテレビの世界に飛び込んだ。三木のり平や八波むと志・由利徹・南利明の「脱線トリオ」、佐山俊二、関敬六・谷幹一・渥美清(のち海野かつをに交替)のスリーポケッツ、石井均一座の他、浅草で人気を博していた大宮敏充の「デン助劇団」などが初期のテレビ・バラエティを飾っていた。一方、大阪でも梅田の実演劇場・北野劇場に出演していた薄給のコメディアンであった茶川一郎、佐々十郎、芦屋雁之助、芦屋小雁、大村崑等に白羽の矢が立ち、花登筺脚本の一連のコメディーで脚光を浴びた。とりわけ大村は時代の寵児となり、「コンちゃん」ブームを巻き起こした。この他に藤田まことや白木みのる等が進出。吉本新喜劇は当初からテレビを意識して制作されたもので、毎日放送テレビとのタイアップもあり多くのスターを生み出した。一方の松竹新喜劇も看板役者の藤山寛美がよみうりテレビを中心にコメディー数作を発表した。
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麒麟・川島の夢日記
■漫才の歴史■1953年、NHKテレビ・日本テレビが相次いで開局したが、当初一流俳優などはテレビを「電氣紙芝居」として敬遠し、その結果それまで浅草公園六区や新宿などで活躍していた軽演劇の役者など、実力はあるが陽の目を見ず燻っていた者達がテレビの世界に飛び込んだ。三木のり平や八波むと志・由利徹・南利明の「脱線トリオ」、佐山俊二、関敬六・谷幹一・渥美清(のち海野かつをに交替)のスリーポケッツ、石井均一座の他、浅草で人気を博していた大宮敏充の「デン助劇団」などが初期のテレビ・バラエティを飾っていた。一方、大阪でも梅田の実演劇場・北野劇場に出演していた薄給のコメディアンであった茶川一郎、佐々十郎、芦屋雁之助、芦屋小雁、大村崑等に白羽の矢が立ち、花登筺脚本の一連のコメディーで脚光を浴びた。とりわけ大村は時代の寵児となり、「コンちゃん」ブームを巻き起こした。この他に藤田まことや白木みのる等が進出。吉本新喜劇は当初からテレビを意識して制作されたもので、毎日放送テレビとのタイアップもあり多くのスターを生み出した。一方の松竹新喜劇も看板役者の藤山寛美がよみうりテレビを中心にコメディー数作を発表した。
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アヒルの川島
■漫才の歴史■1953年、NHKテレビ・日本テレビが相次いで開局したが、当初一流俳優などはテレビを「電氣紙芝居」として敬遠し、その結果それまで浅草公園六区や新宿などで活躍していた軽演劇の役者など、実力はあるが陽の目を見ず燻っていた者達がテレビの世界に飛び込んだ。三木のり平や八波むと志・由利徹・南利明の「脱線トリオ」、佐山俊二、関敬六・谷幹一・渥美清(のち海野かつをに交替)のスリーポケッツ、石井均一座の他、浅草で人気を博していた大宮敏充の「デン助劇団」などが初期のテレビ・バラエティを飾っていた。一方、大阪でも梅田の実演劇場・北野劇場に出演していた薄給のコメディアンであった茶川一郎、佐々十郎、芦屋雁之助、芦屋小雁、大村崑等に白羽の矢が立ち、花登筺脚本の一連のコメディーで脚光を浴びた。とりわけ大村は時代の寵児となり、「コンちゃん」ブームを巻き起こした。この他に藤田まことや白木みのる等が進出。吉本新喜劇は当初からテレビを意識して制作されたもので、毎日放送テレビとのタイアップもあり多くのスターを生み出した。一方の松竹新喜劇も看板役者の藤山寛美がよみうりテレビを中心にコメディー数作を発表した。
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お笑い 漫才 麒麟■漫才豆知識■1970年代後半にはフジテレビの番組『花王名人劇場』、『THE MANZAI』からマンザイブームが起こり、横山やすし・西川きよし、中田カウス・ボタン、コメディNo.1、ツービート、星セント・ルイス、ザ・ぼんち、西川のりお・上方よしお、島田紳介・松本竜介、B&B、などの中堅や若手漫才師が人気を集め、彼らの中には現在でも芸能文化活動の第一線で活躍している者が多い。漫才は寄席で行われる演芸として発達したが、マスメディアとの親和性にも優れており、ラジオ番組やテレビ番組でも多く披露されていった。韓国と中国にも漫才がある。
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MHP 2nd G CM集 『
お笑い芸人篇』
■漫才ブームの歴史■第一次
漫才ブームは、1962年から1969年頃まで続いた、テレビの演芸番組を中心としたブーム。景気後退の中、番組制作費が抑制された各局は制作コストがかからず視聴率が取れる演芸番組に傾斜。また、視聴者の側も不景気の中、笑いをテレビに求めていた。
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お笑い 漫才 麒麟 ■漫才豆知識■大正末期には、
吉本興業の芸人である横山エンタツ・花菱アチャコのコンビが、万才を会話だけの話芸(しゃべくり漫才)として成立させ、絶大な人気を博した。昭和8年頃には吉本興業によって漫才と呼び名を変え、東京へも進出していった。エンタツ・アチャコ以降、漫才は急速に普及し、他のスター漫才師も生みだした。東京ではエンタツ・アチャコと懇意にしていた柳家金語楼が触発されて、一門の梧楼と緑朗に高座で掛け合いを演じさせ、これが今日の東京漫才の祖とされるリーガル千太・万吉に繋がった。一方、砂川捨丸・中村春代やかしまし娘、東京では内海桂子・好江、松鶴家千代若・千代菊など、お囃子を取り入れた古典的なスタイルを崩さなかった
漫才師もいた。
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